そしてもう一つ御免なさい。
次はミステリーの予定だったんですが、枕元にあったこの本を先に読んでしまいました。
開高健 著「ベトナム戦記」
といいますか他にも読んだ本は結構あるんですが、一応感想を書くのは著者が鬼籍に入った本だけなのをご了承ください。
(まあ、その内変えるかも知れませんが…)
ネタバレ注意
ベトナム。
そこで戦争があったことを知らぬ者はいないだろう。(よほどのゆとりを除いて…)
だが、そこでどのような戦いがあったかを知っているものは少ない。
その戦いの最前線に立ち入り、ベトナムの真の姿を暴き出した男、それが開高健である。(ちなみにたけしである。けんではない)
おっと、一つ語弊があった。
ベトナムには最前線というものは存在しない。
本文中でも語られるようにベトナムは言わば全土が最前線というゲリラ戦争の中にあるのだ。
近代に入っての戦争のあり方はかわったが、その中でも一番の特徴的な戦争の形といえばこのゲリラ戦争であろう。
イラクも戦争が終結したと宣言した後の方がその戦死者は多い。
戦争は大部隊同士の戦争から形を変えた。
そのゲリラ戦争をもっともよく現したその戦争がこのベトナム戦争だと言える。
だが、そのベトナム戦争の形自体は少々捉えにくい。
南北ベトナムの統一戦争であるが、皆も知っての通りこの戦いは共産圏と資本主義圏との代理戦争の意味合いが強かった。
戦力と金をつぎ込み、ベトナムは世界の戦いの最前線に設定されることになったのだ。
………
ここでベトナムの話をしてもらちがあかないのでこの程度にする。
開高はこのベトナムの地へおりったった。
ベトナム、仏教徒と戦争との関係。
眼の前で殺されたベトコンの青年。
農民がやがてベトコンへと変わる。
戦争といえば鉄砲を撃ち合い殺し合う物だと思い込んでいるふしがあるが、このベトナム戦争は少しばかり毛色が違う。すぐ近くで農民は農業を営み。一見日常の中にあるようにも思えるのだ。
だが、すぐジャングルの中に入ればそこが無数の最前線である。
開高はこの異様とも言える戦争、そしてベトナム人達が時の政府に対しどのような行動をしたかということをつぶさに書き記す。
やがて読者は開高の隣に立ち、ベトナムの様子に眼を見張る。
鼻先に砲弾の煙の匂いが立ちこめ、舌にビールの苦みが走る。
開高の文章はこれまでかというほどに読者をベトナムの地へと引き込む。
今も尚そこで戦争が続いているかのように…。
かつて三島由紀夫が開高のこのベトナムルポに対し
「これを見ないで書いたのならすごいが見て書いたのなら大したことはない」
と評価したが、私はその評価に意を唱えたい。
読者は実際にあったその瞬間、開高の眼を通してその場に立つことが出るのである。
それはフィクションではない。
現実にあったリアルなのだ。
フィクションの中の銃弾が男の頭を貫き脳漿をぶちまけることより、私は開高の見た段ボールの切れ端に書かれた兵士の何気ない言葉に恐怖と畏怖を感じる。
そこで実際に人が死に、人が生きていた。
この凄さはノンフィクションでしか味わうことのできない。
ガツンと強烈なパンチとなり我々に襲いかかる。
現実、ノンフィクションの強烈さ。
私達は開高と共にそのベトナムの地に降り立ち、その光景を見ることが出来るのである。
これほどの贅沢はない。
柔らかいソファーの上で激戦の真っ只中に降り立つことが出来るのだ。
私はベトナムの地に降り立った、降り立てたことを開高に感謝し、これを「ベトナム戦記」の感想としようと思う。
開高は200人中生存者17名という激戦から生還する。
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ごめんなさい、この絵は受け付けません(笑)
( ・∀・)著名さんお久しぶりです。
(;・∀・)ありゃ…駄目でしたか?
これは、なんか今までの感想の中で一番ひきこまれたね。
今度暇なときでいいので貸してください(゜゜;
( ´∀`)やなぎさんどうもっす。
また今度会う機会があれば持って行きますよ。