―無かった装置―
狭い研究室の中、白髪の眼鏡をかけた男と若い同じく眼鏡をかけた男が一つの変な形をした装置を挟んで向き合っていた。二人とも白衣を着ている。
部屋のカーテンは閉め切られ、部屋の中にある唯一物で溢れていない机の上にその装置は乗っていた。円筒型のゴミ箱から様々な長さのアンテナが伸びた変な形で、今はその円筒形の上の部分から青白い光を放っている。
「教授この装置は何ですか?」
「これは無かった装置というものだ」
白髪の男はその装置を指さしてそう言った。
「無かった?なんですかそりゃ?」
「その名の通りだ、この装置はある特定の事象に作用しそれ自体がはじめから無かったことにしてしまう装置だ」
助手の男は腕組みをして悩む。
「どういうことです?それはつまり人の脳や何かに反応してその事象自体を忘れさせる装置ということですか?つまり認識出来ない事象は無いのと同じといった…」
「いやこの装置は本当にその物や事象が初めからなかったことにしてしまう装置なんだよ。つまり本当に物理的に消してしまうんだ。たとえばここにあるあめ玉を消すと装置にインプットする。そうするとこのあめ玉自体の存在がこの世から消え去ってしまう
んだ。初めからあめ玉などこの世に無かったようにね」
「まさか!もしそんなことができるのなら、この装置は戦争や紛争、それどころか国家すらも消すことが出来るってことですよ。馬鹿馬鹿しい」
「私も本気でこの装置がそんなことが出来るとは思ってはいないよ」
教授は言いながら作り笑いを浮かべた。
「どういうことです?この装置は教授が作ったんじゃないんですか?」
「この装置は私の友人が作った物だ。その友人が自分が死んだ後、この装置を起動させて欲しいと私に頼んでいたのだよ。だからこうしてこの実験をしている。まあこれは言ってみれば彼への弔いのようなものだな」
「なるほど、結局何が起こるかわからないというわけですか…教授まさかこれが爆弾なんてことはないでしょうね?」
「そう言った危険なようなものでは無いだろう…恐らくこれは彼流のジョークだ。さて初めに無くしてしまう物を何に設定するか、君無くなってみるかね?」
「冗談でしょ、このあめ玉でいいんじゃないんですか?このあめ玉が無くなったところでそんなに困る人はいないでしょうし、まあ本当にこのあめ玉が無くなるとは僕も思ってはいませんがね」
「よしならばこのあめ玉を無くしてみるとしよう」
教授はその装置についている入力装置にあめ玉と入力した。
「こんな単純なことでいいんですか?これで世界中のあめ玉が無くなってしまうってことは無いでしょうね」
助手は冗談っぽく言った。
教授が入力した後、その装置についているレバーを下げるとその装置はウオンという大きな音を立てて動き始めた。
その装置の小さからは信じられないほど大きな振動が発生し、実験室が揺れた。
大きな光が辺りに広がり、部屋の中の全てが青白い光で包まれた、その光がゆっくりと収まったかと思うと机の上にあったあめ玉は消えさり、跡形も無くなっていた。
二人は無言で装置を挟み向き合っている。
助手が口を開いた。
「教授この装置は何ですか?」
「これは無かった装置というものだ」
「無かった?なんですかそりゃ?」
彼らはまた同じことを繰り返した。
彼らは最も重要なことを見落としていた。
あめ玉の存在を消してしまったついでにあめ玉を消した実験も無かったことになってしまったのだ。
初めに行った実験と違うのは机の上にあったはずのあめ玉が無くなっていることだけだが、彼らはそれに気づかない、気づくはずもない。
なぜならそのあめ玉は初めから無かったことになったのだから。
「よしならばこの鉛筆を無くしてみるとしよう」
鉛筆が無くなり。次にゴミ箱が無くなった。数々の備品が無くなり。研究室の中は随分とさっぱりとしてしまった。
だが彼らは研究を止めない。
研究室が無くなり、助手が無くなり、ありとあらゆる物が無くなった。
そして十数万回目の実験の後、めでたく無かった装置はその惑星と共に無かったことになった。
だがそれを悲しむ必要はない。
みんなはじめから無かったのだから。
何もない宇宙空間を一つの円盤が飛行している。船内から何もない空間を覗いている宇宙人がいる。
「船長ここら変は何にもないですね。距離的にここらに惑星が一つくらいあってもいいような気もするんですけど」
「確かにここらに一つくらいあってもいいような気もするな、だけどここには何もないな」
「そうですね」
無かったは無くなった。
もはやそれを知る者はいない。
全部無くなった。
できればそのついでにこの話も無かったことにしてもらえるとありがたい。
だが無かった装置は無くなったのだ、君達の記憶からこれが自然に無かったことになるまで私は辛抱強く待つことにしよう。
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