―ケルチャ族の話― 価値観の違いなどはどこにでもあるものだ。 たとえばその例として、死ぬことを幸福と考えているある部族の話をすることにしよう。 その部族の名はケルチャ族。 もちろん彼らは自殺や同部族内で殺し合いなどはしない。 寿命、事故、病気などで死んだときにこそ初めて天国へと向かい入れられると信じているからだ。 だが例外的に他部族間での争いで死んだ場合も事故ととらえられる。 つまり死を天国へと導かれる幸福としているわけだ。 しかし、私はその話を聞いた時からこんな部族が生き残れるはずはないと考えていた。 他部族間での争いで死ぬことが幸福だという意識があれば、そんな部族はすぐに壊滅してしまう。小さな部族にとって争いに負けるということは、部族が絶えてしまうということは火を見るよりも明らかだったからだ。 そんな疑問を持っていた私にある時、ケルチャ族の集落に行く機会が訪れ、一昼夜を彼らと共に過ごすこととなった。 最近まで彼らの部族形態や生活形式はあまり知られておらず、彼らの言語も周辺部族のマニイ族の言語形式に近いことから何とか会話できるといった有様であったのだが、近年のジャングル開発から森も切り開かれ、彼らの生活圏もずいぶんと我々の生活圏に近づいてきた。 そういった流れもあり、今回、私は貴重なその部族との交流をもてたのだ。 彼らの学術的な接触はほとんどなく、私が詳細調査できるとすれば実質的な初めての専門的な調査者となる。 私は数日を費やしジャングルを抜け、ケルチャ族の村へとたどり着いた。 彼らはとても友好的だったので、村にたどり着いて早々すぐに彼らの家へと招待され泊めてもらえることになった。 これは意外なことだ。 本当に彼らは好戦的な様子がない。これは原始的部族に置いては非常に珍しいことである。 私は招待された部族長の家に荷物を置き、少しの間休息をとるために床に横になった。 それとしばらくの間も置かず、外で誰かが叫び声を上げ回っているのが私の耳に入る。 私は初め、それがケルチャ族の声だと思ったのだが、よくよく耳をすましてみるとどうやら違うようだ。 それは私と同じ言語、つまり外の人間の言語だ。 最近は許可もなく興味本位で部族と接触する者がいるということは聞いていたので、それだなと思いながら、私は家の壁の隙間から声を上げている男の姿を見た。 壁は隙間だらけだったので男の姿はよく見える。 するとどうだ、男は肩にかけてある散弾銃を構えたかと思うとすぐに二、三発周りの住民に向かって撃ちはなったではないか。 私は驚き、外に飛び出しながら男に向かってなぜそんなことをするのかと強い口調で問いただすと男は 「こいつらの価値観では他部族に殺されることはとても喜ばしいことなんだ!俺はボランティアをしてやっているんだよ!」 と支離滅裂なことを叫び再び銃を放つ。 私は男の弾丸から逃れるようにして家の中に入り、そして私のバックの中に入っていた銃を取り出し、再び男の前に舞い出た。 男はあいも変わらず、辺りに向かってでたらめに銃を放っている。 私がその男に向かって銃を構え終わったか終わらなかったかの瞬間、男の頭が血しぶきを上げて宙に飛んだ。 男の真後ろにいた部族の男が大きな鎌で男の首を刈ったのだ。 私はその時、驚き唖然としながらも、いくら死ぬのが幸福と言っているとはいえ、やはり同部族を殺されれば怒るものなのだ、と思い、当然のことながらそれを改めて納得して私は銃を服の中に押し込んだ。 だが、男を殺した部族の男は血しぶきを浴びた顔で私の方を向いて満面の笑みを顔に浮かべたではないか。 「この男はなんと幸福なのだろう。他部族の者に殺されるとはこの男は間違いなく天国に行くことができる」 言いながら部族の男は鎌を振り下ろしてきたので、私は必死で逃げる羽目になった。 三日三晩逃げ続け、やっと私は外の世界へと戻った。 ……… 今でも時々男の笑みを夢に見る時がある。 彼らは本当に親切だったが、それは私にとっては非常に迷惑な話だった。 |