借りぐらしのアリエッティ、感想

 
というわけで、借りぐらしのアリエッティの感想です。
もろネタバレ含むんで見てない人は絶対見てはいけません、見ても責任とれません。
 
  
 
 
 
 
 
 
小人との奇妙な交流。(ちなみに今気づいたけどATOK「こびと」で「小人」って変換出来ないんだな)
 
 
設定からぐいぐい引き込ませるだけの力がある。
アリエッティのキャラもいいし、現実的な描写(水の分子の大きさとか、小さい世界に現実の物があればどう眼に映るかとか)にも心を惹かれた。(だがそれもほんの序盤だけ。後半になるにつれて世界のスケールがしょぼくなっていくので)
ティッシュで顔を隠すシーンはとてもかわいいし、(ただしこれは好意をもったわけではないということが後にわかる。ならなんで赤面したんだ?とかは言ってはいけない)
全般的に見ても好感触だ。
(ただしその割には人間の声が凄く低く聞こえて。小人の声が高く聞こえるとか小人の声が普通に聞こえるとかおかしいだろという突っ込み箇所はあることはある。ちなみに確かドラえもんの方では大きな人間の声は低くスローモーションのような感じで描かれていたと思う)
 
 
基本的に今回の映画は十分楽しめたし、好きな映画の一つに数えてもいい程のものだったと思う。
ただし突っ込みどころが多かったのも事実だ。
 
 
まず、今回の作品に関してはサブキャラクターの魅力が欠落していたように思える。
というより存在感が薄い。
アリエッティの親父も後半になればどこに行ってしまったのかわからないほどに空気化するし、お婆さんの印象も薄い。
せっかく昔お婆さんのお父さんが小人を見つけた云々のエピソードがあるのだから、むしろお婆さんと小人を出会わせて、
「お父さんは貴方達にもう一度あうことは出来なかったけれど、かわりに私が会うことが出来たわ」
等々の感動させる系の演出が入っても良かった気がする。
 
 
スピラーの登場も唐突だ。
まずお父さんがいつどこでどのような状況で怪我をしたかがまったく描かれていない状況で、いきなりお父さんを連れて現れてくるわけだ、しかも
「このスピラーに助けてもらった」
という台詞でいきなり紹介されるわけなのだが
映画を見ている僕としては
スピラー?なんだそれ?職業?種族?名前?
とかなり混乱してしまった。
「この人に助けてもらった」
「あなたお名前は?」
「スピラー」
的な感じで紹介したらそんな無用な混乱を招くことはなかったようにも思えるのだが……。
(あとスピラーの矢の持ち方あれであってるのか?少なくとも弓道的には間違っているように見えたけど……)
 
 
あと、ハルさん(お手伝いのおばさん)の立ち位置もかなり曖昧というかいまいちキャラの背景が掴みきれなかった印象を受ける。
まず、ハルさんは何故小人を捕まえようとしているのかという「理由」「動機」が圧倒的に不足している。
別にそれは「好奇心」「功名心」など、凄く単純な理由で行動していたとしても問題は無かったのだが、それらがまったく説明されないままハルさんは小人を捕まえようとするので無用な混乱を招いてしまっている。
しかもハルさんの行動は
「まるで初めから小人の存在を知っていたかのような印象づけがなされていた」
何かハルさんしか知らない重要な秘密を掴んでいるのでは?と思わせるような立ち回りだ。
だが、別にそんな複線はなく、彼女は単純な好奇心だけで小人を捕まようとする。小悪人だったのだ。
下手に「何かあるのでは?」と思わせるキャラ作りであっただけにこれは肩透かしをくらった上に、敵役としてスケールダウンをしてしまう結果になった。
別に彼女が無邪気な小悪人でも構わないが、それならば一番初めにそれをはっきりと提示してもらいたかった。
「私はね。昔小人を見たことがあるんですよ。今度見つけたら捕まえてやろうと思ってるんです」
なんて事前の台詞も無しに、いきなり小人の存在を昔から確信していたような行動をされてもこちらは混乱してしまうだけである。
だから、僕はハルさんを見ながら
「もしやハルさんは元小人の人間なのでは?」
とかわけのわからない壮大な話を勝手に考えてしまったではないか。
 
というか僕的にはハルさんは敵側ではなく味方側として活躍して欲しかった。
あの屋敷という一種の共同体の仲間の一人として、ハルさんは外部から来る敵に対して立ち向かう役回りを演じて欲しかったように思える。
初めは対立していた小人と屋敷の住人の間に奇妙な友情が芽生え……といった感じに。
屋敷の中の人間を悪役にしたのはあまり得策ではないように思えた。
それならばいっそのこと外の役人が云々とか。
外部からの敵を設定するべきではなかったのか?
まあ、今回の作品の肝は小さな世界で繰り広げられる壮大な話というものをイメージしているのだろうから、出来るだけ外部の世界の存在は出したくなかったのかもしれないが……。
僕としては
「ここからは一歩も通させやしませんよ!さあ小人ちゃんお行きなさい!」
「ありがとう、ハルさん。大好き!」
チュッ
のようなジブリ的な展開でもよかったのでは?とおもってしまった。
 
 
 
今回の作品は僕のイメージでは小さな世界で起こったちょっとした小さな話、程度にしか感じなかった。
敵役も小悪人程度のショボさだし、基本的に狭い家の中での繰り返される場面展開ばかりなのでマンネリ化も否めない。
(床下を開けて小人の家を覗くシーンなど。似たようなシーンが数回繰り返されるので印象も薄まってしまう。対比という意味合いを出したかったのならばせめて一度だけに留めるべきだ)
 
 
 
ラストシーンの印象
翔の最後の台詞は唐突な上に狙いすぎている感が強くてあんまりだったが、基本的にはいいラストシーンである。かなり泣きかけたし。
だが、問題点も多い。
 
まずラストシーンに向かうまでの展開が少々ゆったりしすぎだ。
ラストの山場の後。(文句を言えばこの山場もそこまでの山場ではない。ラピュタで言えばシータが捕まったくらいの山場である)
引っ越しをして新しい住居を見つけるために旅に出るという展開なのだが、まるでピクニックのようにその行程がいちいち提示される。
ラストシーン!ラストシーンへと向かう重要な最後の展開なのに、何故、途中で休んで飯を食べたり、休憩したりする日常的な描写が必要なんだ!
これではテンポも悪くなるし、最後の最後の一番いいシーンに向かうまでの緊張感、盛り上がりが絶対に削がれてしまう。
しかも悲壮感があまり示されていないから緊張感がない。
「もうここを離れると二度と翔には会えないんだ」
といった悲壮感がないから(まるで映画の始めのようないちいち行程が示されるシーンのせいもあって)
見てる側にもラストに向かってのハラハラ感がない。
そこは
「ああ、もうここを抜けると絶対に翔にあえなくなるんだぞ!アリエッティそれでもいいのか!」
といった緊張感が欲しかった。
 
あと、五月蠅く言えば猫と急に仲良くなるのもご都合主義的するぎる感がある。
例えば、それ以前のシーンで猫はアリエッティは嫌いだが(或いは食べ物程度の認識しかないが)翔には非常になついている。なんてシーンがあればまだ理解は出来る。その行動の裏付けがされるからだ。
だが、そういった下準備もないのにいきなり猫がアリエッティのために行動するのはどう考えても不自然だ。まるでシナリオのために動いているような印象を受けてしまう。
 
 
 
最後のスタッフロール後、最後のカットは最悪だ。
この映画の一番駄目なシーンをあげるとすれば間違いなくそこだろう。
映画が終わった瞬間、ふいに私は映画館の中に奇妙な静寂を感じた。
それは隣に座って映画を鑑賞していた友人も同じ。皆、呆気にとられ、言葉を失っていたのだ。
これは勿論いい意味ではない。悪い意味でだ。
 
私たちはスタッフロールの後にてっきり後日談的なものがあるものと期待していたのだ。
それが唐突に「おわり」である。
しかもラストカットはただの草の絵。
ただの草の絵!
 
 ただの草の絵! 
 
そこは絶対に机の上に置かれたアリエッティの洗濯ばさみのカットにするべきだ。
ただの草のドアップ見せつけられて余韻に浸れといわれても無茶な話だ。このラストカットへを決めた人間がいれば小一時間は文句を垂れたいくらい不満だ。
 
或いは後日談的なシーンならば
手術を終えた(と思われる)翔が病室のベッドの上で本を読んでいる。
ふいに風を感じる。
「アリエッティ?」
視線を移した先、そこには誰の姿も無い。
だが、そこには小さな角砂糖が一つ置かれていた。
翔はその顔に僅かな笑みを浮かべ。物語は終わる。
的な展開にしてもいいはずだ。
というかなんども言うがラストカットが草のドアップである必要性はまったくない!
(これが草の品種改良の物語だったり、草むらを守り抜く話だったり、草が踊り出すような話だったらそれでも構わないが、今回の作品の主題は草ではないはずだ)
 
 
 
では、今回の作品のテーマとはなんだったのだろうか?
テーマとか物語の意味とか作品にそういった小難しい解釈を求めるのは嫌いな方なのだが、今回のこの作品に関してはそこのところ避けて通れない点だと思ったのであえて突っ込んでみたいと思う。
 
まずこの作品、小人が小人であるかぎり恋愛物にはなれない構造になっている。
悲しいかな小人と恋人になるなんて物語は初めから構成できないのだ。
一寸法師の話みたいに小人が最終的に大きくなるとかなら別として。(まあ本当にやろうと思えばできるけど)
まあ、それが今回の無常に感じるもの悲しい点であるのだが、見てる側としてはアリエッティをスピラーに横取りされた感じに思えてしまう。どうもすっきりしない。
 
では、この作品のテーマが恋愛ではないとすると一体この作品は何を主題としているのだろうか?
 
 
 
大きな困難を打開する物語?
とは言い難い、ハルさんの困難はどう見てもショボイ。
 
 
 
小人との和解の物語?
そもそも和解してない、アリエッティ以外は最後まで人間は敵だという認識のまま終わる。
はっきりいってこの点もすっきりしない。
 
 
 
アリエッティとの友情の物語?
この演出を生かすのならばアリエッティはどう足掻いても離ればなれにならざるを得ない状況である必要があると思う。
ぶっちゃけ、今回の話の流れだと最後の段階でもアリエッティは屋敷に残ろうと思えば残れた。
見ている人間からすると翔との友情よりも平穏な生活をとったと思われても仕方がない。
千と千尋の神隠しのような
元の世界に戻らないといけない。つまりハクとは別れないといけない。それが唯一の方法である。
といった絶対の強制力、別れがこの作品には存在しない。
 
それならば、小人と屋敷の住人が和解し、小人は変わらず秘密の借りぐらしの生活を続けていく。といった話の方がすっきりする。
まさにこんな終わり方だとトトロ的な終わり方だともいえるが、話の流れとしてはこっちの方がいいと思う。
 
逆に感動的な別れを演出するのならば、それは絶対的な別れである必要性がある。
人間と小人とは埋められない絶対的な溝があるからそれが悲しく、切ないのだ。だが、その絶対的な溝が今回はあまり感じられない。
友情の話にするとしても、世界の全ては敵。だが二人は信じ合うといった構成にした方がいいかもしれない。二人の部分が三人になろうが何人になろうが構わないのだが、信じ合う(或いは信じ合い始める)者とそれを討ち滅ぼそうとする者の単純な対比が無く、弱い。
結局のところただ単純にこの「借りぐらしのアリエッティ」を総括するのならば
『翔が小人と接触したために彼らは屋敷を去らねばならなくなった』
という話である。
どうみてもバッドエンドだ。その原因となった小人との確執も解消されないまま終わる。
ハルさんの一件が和解のキーポイントなるわけでもない。ハルさんの一件は単なるアクシデントで大筋の流れは変わっていない。
結局のところこれは小人と人間との結局わかり合えない話である。
「いいや!アリエッティと翔はわかりあえたはずだ!」
という意見もアリエッティが新たな生活を選んだ時点であまり説得力をもたない。
私としては
「アリエッティは一人ででも生きていけるようにならなくては」
という台詞からアリエッティは家族と離れ、一人で生きていく選択があるのだろうか?
とも思ったのだが、考え過ぎだった。
やっぱりどうもすっきりしない。
 
 
 
ならば、これは翔が成長する物語?
自暴自棄的な台詞
「僕はどうせ死ぬんだ」
程度にはネガティブな主人公だが、そもそも初めからやさしい人間だし、小人に対して助けてあげようとする善人であり、別にひねくれてもいない。
人生の絶望に陥っているようにも見えないし、生きる気力を完全に失っているようにも見えない。
なので、最後に
「君と出会えて僕は変わった」
的なことを言われても
「そうだっけ?」
と首をかしげざるをえない。
成長記だとしたらそれはあまりに曖昧だ。

といったように結局のところテーマが固まりきっていない印象を受けるのだ。
テーマという言葉は嫌いなのでもっと簡単に言えば
「すげえ!」といった漠然としたスケール感を感じない。
どうもやっていることに、「なるほど、それで?」といった疑問が支配してしまう。
それは場面が繰り返しになってしまい、スケール感が小さくなってしまったことも若干影響していると思う。
今回の話は小さな話を小さく描いてしまったことに問題があるように思う。
 
ちなみにこれは酷評しているように思われるかもしれないが、別にそんなことはない。
僕はこの作品はポニョよりも好きだし、ゲドなんとかとはそもそも比べようが無い。
ただ、もっとこの作品を良くできたのではないのかという不満が残こっているのだ。
だがそれはラピュタや紅の豚、もののけ姫ではまったく感じることのなかった不満だ。
猫の恩返しなどもそういう類の不満はなかった。
だが、この作品は絶対にもっといい物にすることが出来たはずだ。
高度な不満といってもいい。
例えるのならばそれは新幹線が在来線の線路を走っているような不満だ。
新幹線には不満はない、ただ若干走っている線路の方に不満がある。
好きだが、もったいない。
この作品がこのまま終わってしまうことに憤りを感じる。
悲しみに近い憤りだ。
  
 
 
以下、揚げ足にも近い雑感。
 
翔が自分の部屋の扉に鍵がかかっていることに気づくシーン。(翔は自分の部屋の鍵がかけられていることを知らない。ちなみに部屋の中に閉じ込められる形で外から鍵が閉められる「鍵穴しかない古いタイプの扉」)

扉のノブを握り、その扉に鍵がかけられていることに気づいた翔の第一声。
「鍵がかけられている!」
この台詞、もの凄い違和感を覚えた。
「あっ、開かない。多分、ハルさんだ」
くらいでいいのに
お前はドラクエの主人公かと突っ込みたくなった。
 
 
あとてっきりカラスは小人サイドの立場にいるのかと思ったのだが……。
全然そんなことはなかった。
この作品、小人がいるという以外は徹底的にファンタジーというものを排除しているようだ。
 
 
翔の台詞
「君達は滅び行く種族なんだね」
この一連の台詞は、多分おや?と思わせたいという意図なのだろうが、その意図が透けて見えるようで嫌だった。
その意図が透けて見えない人以外にとっては、その一連の台詞はただの不釣り合いな台詞のように思えると考えられる。
 
 
以上をもって感想としたいと思う。
多分まだ言い切れてない部分はあると思うが、大体言い切ったと思うので。
ちなみに個人的にだが、小人との話なら、ドラえもんのホイくんとの交流の話の方がよくできていると思う。キャラとかはこっちの方が好きだが(ハルさんを除く)
あとそういえばワンカット、アリエッティの顔つきがずいぶん違うカットがあったね。
 
ariari
アリエッティは翔を見舞いに行っただろうか?
話の流れからするとその可能性は低そうだが、せめてその予感だけでも提示してくれれば……。
或いは様子くらいは見に来たのかもしれない。
 
それにしてもこの服、左腕にサイコガンを持つ某宇宙海賊を思い起こしてしまうんですが……。
 
 
追記
そういえばあのまち針結局一回も使用してないよね。
救出時に物に対して使っただけか……。
終わりが唐突に感じるのは音楽がフェードアウトで終わるせいもあるかもなぁとサントラ聞きながら思ったりした。 
あと、上の方で病室に角砂糖云々っていったけど、角砂糖には拒絶の意味もあるから花か何かの方がいいかもしれない。その場合は本編の方で花に関する複線を用意した方がより効果的になるのかも。(小人が人に花を贈る意味は云々かんぬん……)
そういえば今回のハルさんは嫌味なキャラだったよね。最近のジブリ、(というかゲドとアリエッティ)には嫌味で不快感のある適役が出てくるよね。ジブリにはそういったキャラは少なかったはずなんだけど……。ゲドのウサギやら、今回のハルさんやら。見ていてあんまりすっきりするキャラじゃないんだよね。
 
あと、ネットで色んな感想見て中に原作の話があったけど、原作ではアリエッティ一家がこの後餓えたりするんだね。
というかその展開を今回のでやれよとも思った。最初から最後までそこまで状況の劇的変化がないからスケールが小さいんだ。
ラピュタ、もののけとかと比べるとやっぱりスケールが小さいよなぁ……。

     
ちなみに両方とも買って聴きましたが、どっちか一つだけ買おうと思っている人にはイメージ歌集アルバムの方をお勧めします。
劇中の印象的な曲は大体さらっていますしね。


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2 comments for “借りぐらしのアリエッティ、感想

  1. 匿名
    2017年7月8日 at 12:11 AM

    今更ですが本日のTV放送で初視聴し、「すっきりしない」で検索したところすっきりしないところをすべて代弁してくれている当記事に出会いました(^^)
    いいですよね、小人から見た世界の細かい表現。
    ポットからでるのが大粒一滴とか、コンセント裏に入るときの風の音とか。

    私的なすっきりしないポイントは、
    ・ラストの盛り上がりに欠ける。結局、何か解決するわけでもなく小人と人間の一時の邂逅で終わってしまうから、「へー、あっそう」みたいな平坦な気持ちで最後を迎えてしまいました。例えるなら、あの家に移り住む前の世代から続く長編小人シリーズの中の「アリエッティ世代 安住と追放編」的な、流れの中の一部分だけ映画化しました、みたいな。盛り上がりは映画化されていないもっと後の部分にあるよ、みたいな。
    ・感動ポイントをさらっと流しすぎ。世代を超えて引き継いだドールハウスを念願かなってプレゼントできたとか、小人が心臓手術に影響を及ぼすとか、手術成功して退院時の写真の前に髪留めが置いてあるとか、見せ場はもっとあるでしょうと。貞子おばあちゃんがドールハウスのティーポットで小人の存在に気づく所とか一番の泣かせポイントなのにあっさり流すし。

    ここで書かれている、おばあちゃんと小人の対面、ハルさんが小人を守護する!、病室に小さなお見舞いの痕跡が、なんてどれも映像が思い浮かぶ「これだよ!」と思う求めていた演出で、想像の中ですっきりすることができました(笑)

    • 2017年7月9日 at 12:02 PM

      コメントありがとうございます。
      すっきりしてもらったようで良かったです(笑)。
      確かに小人から見る世界のスケール感とかいいところもあったんですが、やっぱり総評するとちょっと物足りないってのがしっくり来るような気がしますよねぇ。
      ドールハウスの件も確かにそうですね。あれは物語のサブストーリーとしてかなり重要な位置づけにも出来るはずだったのに、なんかちょいイベント程度にしか描かれていないのはかなりもったいないように思えました。
      ジブリ的なオーソドックスな王道展開で良かった気もするんですが、なんでしょう?やっぱり違いを出したかったんでしょうか?どうもその辺りをわざと外している印象を受けますね。
      そういった細かな点が積み重なって、やっぱりどうしてもすっきりしない印象が強くなってしまうように思えます。
      まあ、悪い映画ではないんですけど…もっと良く出来た気がする惜しい映画って印象が強いですよねぇ……。

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